強い心と三つの資質

みなさま、いつもブログにお越しいただき、ありがとうございます。
当ブログを閲覧してくださっている皆様に、ちょっとご報告というかお知らせというかがございます。ちょいと更新の間があいてしまった件についても絡んで。
別に休止宣言とかそういう話ではないのですが、毎日更新は無理になったり、記事の内容が軽めになってしまったり、コメントの返信が遅れるような事が、これから増えてしまいそうです。というのも、実は・・・

ちょっと諸事情ありまして、会社での仕事量が約2倍になってしまいまして!(笑)

簡単に言うと、『人が辞める→補充人員来ない→俺の仕事激増』みたいな話なんですが。いやあ・・・こうして一人あたりの仕事量が増えるにも関わらず、お給料は据え置きだという忌むべき状況も、デフレのせいですね!デフレ経済下ではよくある事。これを私は「デフレの影響による社員の奴隷化」と呼んでおりますが。

参考:デフレって何ですか?今更聞けないデフレのまとめ。

安倍さーん!早くデフレ脱却してくれー!俺が限界を迎える前に!<すごく利己的な応援理由(笑)

まあ、そんな訳で人が減った分の仕事が、私ひとりに集中した事により、ちょっぴり洒落にならない忙しさになっている訳です。くっそ同僚どもwwwもっと手伝え貴様らwww忙しそうな顔して目をそらすんじゃねえwww

いや、帰る時間なんかはそんなに変わってないんですけどね。私、残業とか嫌いなんで。残業代も出ないのにやってられっか。って、いつもさっさと帰ってるから余裕タップリだと誤解されたのか!失敗した!

※一応言い訳しとくと、別に今までの私の仕事量が少なかったとか、そういう話ではありません。俺の仕事スピードが早すぎたようだな(キリッ

さて、仕事が二倍に増えました。だけど帰る時間は遅くしたくありません。となれば、これはもう仕事の密度を濃くする以外の方法はありません。
という訳で、最近私は会社では、かなり鬼気迫る感じになってたりします。
例えて言うならマラソンの距離を百メートル走のスピードで走り抜けているような物ですので、色々としんどい訳です。体力とか精神とかがガリガリ削られて行ってるのを感じております。帰って来た早々、倒れるように寝てしまう事もしばしば。素直に残業した方が疲れないような気が、しないでもありません。

仕事の分量が単純に増えた事に加え、新しい仕事が不慣れな分野の物である事も厳しい要因です。慣れれば普通にやれるようになると思うんですが、あと2〜3ヶ月は掛かりそう。

まあ、そんな訳でお仕事の片手間に更新しているブログですので、手が回らなくなるかも知れません。基本的には会社の仕事を優先させていただきますので、ご了承くださいませ。さすがの私もブログの為に生活捨てる事はちょっとね・・・
私も超人ではありませんので、何卒ご容赦を。

超人という言葉で思い出した事があります。今日は、それについてお話しましょう。

みなさんもご存知の通り、この世に『超人』などという人間は居ません。私も、あなたも、他の誰かも、スペック的にはほとんど差の無い『普通の人間』に過ぎません。
頭がいい?運動神経が優れている?絵が上手?文才がある?顔がいい?背が高い?歌が上手い?声が素敵?
このように、人間を褒める要素はたくさんあり、それと同じ数だけ人を貶す言葉もある訳ですが、私に言わせればそんな物は誤差です。人間の基本スペックなんか、そんなにスゴイ差なんて無いんですよ。ファンタジーライトノベルじゃあるまいし、一騎当千とかそういうのねえから。
別に運動が得意だって言ったって、空を飛べるようになる訳じゃない。才能があれば多少有利だとは思うけど、別に才能が無いからと言って即死するような事もない。みんな似たようなもんです。神様視点から見れば、人間なんて一山いくらのジャガイモみたいなもんでしょう。

しかし、一方で「こ、こいつぁ同じ人類だとは思えないぜ・・・」というような偉業を、凄まじい執念でもって成し遂げる人が居るのもまた事実。だから面白い(笑)
歴史の教科書に載ってるような偉人の話をひも解きますと、「あ、頭おかしいんじゃないの?」と思ってしまうような、狂気の沙汰が描かれている事も少なくありません。
ある意味、彼らこそは『超人的』と呼ばれるべきなのかも知れません。超人そのものではありませんが、超人『的』なのです。
では、超人的な彼らと私達のような一般人の間には、一体どんな差があるのか?どう考えても、才能の有無や能力の差異だけではないですよね。

色々と省略して結論だけ書いちゃいますが、彼らと私達の差は「心」の差です。
凄まじい偉業を成し遂げる人というのは、例外なく心が強い。何かの本で読んだのですが、人間は体を鍛える事には限界がありますが、心を鍛えるのには限界が無いのだそうです。心だけならば、どこまででも強くなれる。心だけ強くても目に見えて分かるような変化は無いと思われるかも知れませんが、自分よりも百倍ぐらい心が強い人と正面から向き合えば、自分の矮小さに嫌気がさすような気がします(笑)
これが、一般人と超人的な人たちを分ける最重要の要因となっているのではないでしょうか。
では、心が強いとはどういう事か。その答えは、私が尊敬している会社経営者の方が、恩師に言われたという言葉の中に、そのヒントがあるような気がしています。

「成功するには、『cool head(冷静な頭脳)』『warm heart(温かい心)』『hot passion(熱い情熱)』の三つが必要だ。君には、温かい心と熱い情熱があると思う。冷静な頭脳は、君の仲間が補ってくれるはずだ。だから、君は成功すると思う」

確か、こんな感じの言葉だったかと思います。
私はこの話を読んだ時、「じーん」と痺れるような感動を覚えました。イイハナシダナー。
私が思うに、心が強い人というのは、この三つの資質をバランスよく、且つ高いレベルで備えている人の事を言うのではないかと思います。

『冷静な頭脳』
的確な状況判断を下すのに必要不可欠。ただし、これの比重が高過ぎると、困難と向きあった時に見切りを付けるのが早くなってしまい、偉業を成す事は難しい。

『温かい心』
優しさや慈しみの心。これを持たない人間の決定は、間違った方へと向かってしまいがち。人として最も重要な要素だが、これが行き過ぎると周囲との軋轢を恐れて困難との相対を避けるようになってしまう。

『熱い情熱』
どんな困難も必ず乗り越えようとする、強い意思の力。ただし、こればかりが強すぎると、協調性のないトラブルメーカーになってしまう。


この三つの資質は、誰にでも多かれ少なかれ備わっている物だと思います。後は、これらの資質を伸ばすように努力を重ね、なおかつバランスよく保持する事。これで、あなたの心も強くなります。ね、簡単でしょ?<注:難しいですw

一方で、三つ全てを同時に伸ばす事は難しくもあります。私の経験から見ると、三つの資質のうち二つが伸びる傾向が強いようです。(意識的に心を鍛えようと思えば、三つ全て伸ばす事も出来るとは思いますが・・・)
こればかりは、個々人の性格もあると思いますから、自分と相談していただくしかありません。自分の性格と合わない部分は、伸びにくいと思います。
しかし、こうして『心の強さ』を細分化して見ると、自分がどういう性格で、どこを重点的に鍛えればブレイクスルーが果たせるのか?なんて事が考えやすくなって、楽しくないですか?もちろん、自分の弱点を把握していれば、その弱点を補うような人を仲間にする事も出来ます。多様性のある集団が強いとは、そういう事です。

自分の心に沿った役割をこなしている人は、楽しそうな人生を送ってるような気がします。みなさんは是非、『温かい心』を大切に育てつつ、残り二つを自分の性格に合わせて伸ばしていっていただきたいと思います。温かい心は絶対に捨てたらダメです。これを一番に育てるのは、絶対条件です。冷静な頭脳だの熱い情熱だのは、ふとした拍子で目覚める事もあるでしょうが、温かい心だけは一朝一夕には身に付きません。
温かい心以外の二つが伸びた人格パターンは、悪役以外の何者でもないような気がします。必要以上に実力主義、自由主義に傾倒して、敗者はゴミだと発言しちゃうのは、『冷静な頭脳』『熱い情熱』だけが伸びた人なんじゃないかなあ。某大阪市長とか。うん、しっくり来る。

温かい心を失ったらどうなるのかを知りたければ、韓国人を見ればいいんじゃないですかね。あいつらは三つの資質とか言う以前の問題だとは思いますが(笑)

無理やりこの話を政治に絡めてみるなら、自民党で例えれば、頭脳の谷垣さん、心の麻生さん、情熱の安倍さんって感じになるんじゃないかなー、なんて思ってます。お三方は、全てのパラメーターが高いレベルを維持していると思いますが、強いて一点特長を挙げるならこうじゃないかな?と。

頭脳の谷垣さんには、やはり参謀役がよく似合う。反面、熱い情熱は少なめで、歯がゆい思いで谷垣さんを眺めていた人も多いのでは?しかし、安倍総理(←ちと気が早いかな?)の下でなら、手腕を存分に発揮出来るはず。
情熱の安倍さんは、見ていて誰かに足をすくわれるのでは?という不安を断ち切れない人も多いでしょう。『いい人過ぎて不安』とは、心と情熱が伸びる反面、『冷静な頭脳』が低めと感じている人が多いという事なのかも。私が見る限り、冷静さも高レベルですけどね。
そして麻生さんはバランス型。頭脳も情熱も程々に伸ばしてる万能型って感じですかね。反面、若干突破力に欠けているような印象があります。
三つの資質のうち『二つ』が伸びていると思って人間観察してみると、ピタリ当てはまるケースは多いような気がします。あ、もちろんどれも伸びてない人も多いなー、って思いますけどね(笑)

超人的な功績というのは、「如何なる困難も打ち砕く、熱い情熱」と、「人を思いやる優しい心」と、「適切に問題に対処する冷静な頭脳」が揃った時に、成し遂げられる物なのではないでしょうか?
現在の自民党には、温かい心を大切に持ちながら、頭脳が冷静なタイプ、熱い情熱を持つタイプが、ズラリと顔を並べているように思います。そうじゃない人も結構混じってますが、こんなにレベルの高い政党は、今は自民党以外にはありません。彼らに出来ないと言うならば、一体他の誰が出来ると言うのでしょう?
私が次の自民党政権に期待している理由には、こんな話もあるのです。

え?民主党?あいつらは三つの資質全てのレベルが低いゴミ野郎の集団だから、ダメ。話にならない(笑)

 ←三つの資質について考えさせられた、と思った方はクリックを。


ジェネラティビティー

こんばんは。

今日は、ジェネラティビティーという言葉について。
まあ、私がこういう難しそうな言葉を使い始めた時は、大抵は私が尊敬してやまないライブレボリューションの増永社長の受け売りな訳で、あんまり同じような事を繰り返して言うのはオリジナリティにも欠けるし、やめといた方がいいかなー、なんて思いつつ昨日の更新(経営者は足場)でこれに関係無い訳でもない話をしていたので、やっぱり取り上げる事にします。

前置きが長いですね(笑)
参考:増永社長がブログに書かれたジェネラティビティーに関する記事。

以下、増永社長が読んだという、 日経ビジネスオンライン『瀬戸際40代に忍び寄る「思秋期」の恐怖』という記事より。増永社長の抜粋まま。

―――――――――――――――――――――――――――
 米国の心理学者、エリク・H・エリクソンは、「幼児期と社会」という著書の中で人生を8段階に分け、それぞれの時期になすべき課題(発達課題)を示した。エリクソンによれば、発達課題をそれぞれの段階で克服していけば、人間的に成長し、社会における自己の存在と居場所を獲得できるという。

 40代は、人生の7段階目の成人期。発達課題は、生殖性だ。

 生殖性とは聞き慣れない言葉だが、原語は「ジェネラティビティー(generativity)」というエリクソンの造語で、「次世代の価値を生み出す行為に積極的にかかわっていくこと」と定義されている。

 ジェネラティビティーの語源は、生殖とか産み出すことを意味する生命科学の分野にある。そして次世代の価値とは、次の世代へ連なって産み出される新しい価値のすべてを指し、子供だけでなく、社会的な業績や知的、芸術的な創造も含まれる。

 後輩のため、他者のため、地域のため──。何のためであれ、次の世代をより良いものにすべく、自分を超えた価値とかかわることがエリクソンの唱えるジェネラティビティーなのだ。―――――――――――――――――――――――――――

次の世代をより良いものにすべく、自分を超えた価値と関わること。それがジェネラティビティー。

こういう、「自分ひとりの力を頼りにするだけでなく、次世代の育成に携わる」という考え方は、私にとっては近しいものです。大抵、私と同じぐらいの歳の若者は、自分の力に自信を持っている事が多いのか、精神的に未熟でプライドが高いせいか、「自分一人の力でやって行ける。周囲を育てる余裕など無い」という考えに陥りがちな気がします。
しかし、私は違います。別に私が特別優れていると言いたい訳ではありません。逆に、優れていないからこそたどり着いた考え方です。

これは私のコンプレックスのひとつですが、とにかく作業が遅いのです。一生懸命素早くやっているつもりでも、生来の不器用さ、身体の弱さなどが作用して、人よりもノロノロとした速度でしか作業が進まない。まあ、言ってしまえば無能の類ですね。
そういう状態にあった私が考えた事は「私ひとりで生きていく事など絶対に無理だ」「大勢の人に助けてもらわなければ、私はたやすく死んでしまう」「むしろ、生存競争で言えば最弱の類w」という事です。ま、当たり前に考えれば、一人で生きていける人間なんて私に限らず現代人にはほとんど存在しないでしょうけれど。ただ、どうしようもない低レベルを誇っていた分だけ、その事に気付くのが早かったと言うべきでしょうか。

そんな私の処世術は、とにかく他人を助ける事。仕事を丁寧に教える事。後輩を育て、私の分まで代わりに働いてもらう事(!?)だった訳です。期せずして、後進を育てる役柄を買って出ていた事になりますね。実に自然な成り行きですが、これもジェネラティビティーと言えるのではないでしょうか。
もっとも、自分の事がちゃんと出来てない分そうしていただけなので、あまり手放しで褒める訳にはいきません。

増永社長は同記事への感想として、「逆に、自分のことしか考えない人は、40歳くらいで壁にあたるんでしょうね。」と書いていました。
まあ、僕の場合40歳になるはるか手前にして壁に当たり、利他の精神を身につけなければどうにもならない状態に陥ったと言えます。しかし、おかげさまで未だに会社勤めを続けていられます。ありがたいありがたい。だからこそ、自分の事しか考えていない精神的に幼い上司には我慢がならない訳ですけれど。

ちなみに、会社勤めを始めてから六年が過ぎましたが、未だに作業のスピード自体は、他の若手社員には敵いません。体力的にもはるか手前で力尽きますし、純粋なスピードも最初に比べればマシとは言うものの、決して早いとは言えません。
しかし、それでも人並み以上の仕事はこなせている自信があります。ポイントは、

・丁寧である事。
・間違いが無い事。
・深く理解している事。


以上の三点。これを守る事が出来れば、少々スピードで遅れをとっていても、どうにでもなります。逆に、スピードが少しばかり速くても、間違いだらけでは意味が無いという事です。
私は、一生懸命やってもどの道ゆっくりしか出来ませんので、慌てる事はありません。むしろ、どうせ遅いならと開き直って、更にスピードを遅くします。その分、丁寧に。一ヶ所も間違いが無いように。
更に、後輩に仕事を教えるという事にしても、自分が十分に理解していなければそもそも教える事が出来ませんので、私の仕事に対する理解度は、同期の若手社員の平均に比べ、かなり深いと言えます。若手を教育しない社員は、意地悪で教育していない訳ではなく、教育出来ないだけなのかも知れません。
そうして仕事に対する理解を深めていれば、判断に迷いが無くなり、結果的には仕事は少なくなります。肉体的なハンデを抱えている分は、精神面を強くしてカバーするしかありません。それが私が学んだ私のやり方です。

目の前の仕事にばかり注意を向けてしまって、『自分を超えた価値と関わること』を忘れがちになってしまっている方は、ジェネラティビティーという言葉を考えてみてはいかがでしょう?


経営者は足場

唐突に、自分で作った俺ワードを公開してみる。

経営者は足場。

今日仕事してる時、本当に毒にも薬にもならない足を引っ張るしかやらない部長様に、いい加減腹が立った時、このような事をつらつらと考えたのである。

無能な経営者はタチが悪い。現場に立つ若手社員がやろうとする事を、ここぞとばかりに口を出して、改悪して行く。余計な口を挟まれる事で、作業は中断を余儀なくされる。更に、改悪する為の仕事ではモチベーションが上がらない事は当たり前であるし、完成品のレベルも低くなる。まったく意味の無い事だ。
これでは、彼らは(足を引っ張るのが無自覚での行動であれば)、俺たちを助けようとしているにも関わらず、邪魔しかしていない事になる。
例えるなら、「高い所に手を伸ばしてしなければならない作業を強いられた時、ボロボロの脚立を渡された」ような物ではないか。乗った途端に崩れるような足場など、邪魔にしかならない。
それだったら、現場で働く者同士、肩車でもした方がよほど建設的だ。

・・・なるほど。経営者とは、足場なんだな。

劣悪な経営者の下で働く事は、今にも崩れ落ちそうな足場の上で作業をするようなもの。能率も悪くなるし、その足場の上に立つ労働者は不安に駆られる。
しかし逆に、しっかりとした足場の上であれば、労働者は気持ちよく仕事が出来るし、自分の足元がふらつく事が無い。成果を上げる為に、集中して仕事に力を注ぐ事が出来る。経営者とは、社員が気持ちよく仕事の出来る環境を求め、足場を固めていく者でなければならない。

そして、大切な事は、足場は決して主役であってはならない。

これは俺の中で確信を持っていえる事なんだが、大きいことを為す人間は、決して華々しいスターではないと思う。目立たずともコツコツと必要な努力を続けた者、人一倍の苦労を背負った人間こそが強靭な足場となり得る。
俺は、キラキラに飾り立てられたベニヤの足場より、無骨でも鉄筋作りのガッシリした足場の上で働きたいなあ。そのような事を考えたのですね。

大体、ホラ、あれだよ。社員を不幸にするタイプの経営者って、大抵が「俺の功績が!」って言い出す、俺様大好きっ子ばっかりじゃないか。そういう人間は、社員を道具として使いつぶす。自分という足場を輝かせる事を役者に強要する。果たして、どのような劇を見せるつもりなのやら。役者より足場が目立ってる演劇が面白いとでも思ってんのか。
そういう、足場失格の経営者が、最近の日本にはちょっと多過ぎるんじゃないかな、と思うんですよ。

最近の若者はやる気が無いとか、少し怒っただけですぐに辞めるとか、言いますけどね。僕も若い方に入ってると思うけど、言っとく。そんな事無いよ。若い人達も、やる事はやるよ。意欲をもって仕事に取り組み、素晴らしい成果を上げる事に夢中になる事だって、あるよ。ただし、足場がしっかりしていればの話だ。今にも崩れそうな吊り橋の上で、「走れ!」って言われてもそりゃ無理です。
年配の偉そうな方々にお願いです。あなた方が若かった頃は、「走れ!」と言われりゃ走ったでしょう。でもそれは、渡る橋が石橋だったからです。今の若い人達が、同じ橋を渡っていると思うのは、やめてくれないかな。もうボロボロじゃねえかよ。年功序列、終身雇用、そういう事が出来る石橋ではなく、いつリストラされるかも分からないボロボロの板切れみたいな橋を渡ってるんだよ、僕達は。

だったら、そのボロボロの橋を、少しでも補強するのが、今上に立っている者の責任なのではないかと思いますよ。どうだろう?俺、何か間違った事言ってるかな?

現在の苦境を不況のせいにしたがる人間も多いですが、それ間違いだから。ちゃんと足場を築く事に注力してた人たちは、今でもちゃんとやってるから。ちょうどいい言い訳見つけたみたいな顔してる経営者を見てると、本当にぶん殴りたくなります。

足場が崩れたら、その上でがんばっていた人間の為に責任を取るのは当たり前。謝る相手は株主じゃねえんだよ。腐った足場の上で働いていて、落っこちて怪我した役者に、まず謝れ。見物客(株主)に謝るのは後にしろ後に。
腐り落ちた足場(経営者)、その上で必死に演技をする役者(労働者)、役者に野次を飛ばす観客(株主)。今の日本の社会って、こんな感じになってるんじゃないですかね?うぜえ・・・

ちなみに、この例えに私の会社を当てはめると・・・いや、やめとこうか。悪口しか出て来ないわ(笑)

というような事を、今日はひたすら考えてました。仕事しろ俺。私みたいに他人に対して愚痴を吐くより、自分の仕事をまずがんばりなさい。そういうお話。でも、俺が経営者になった時は、そんな馬鹿な経営は絶対にせんぞ。


お久しぶりです

お久しぶりです、こんばんは。

いやー。はっはっは。一回休むと、なかなか更新に手が付かなくて困る。
まじめな話、すぐに更新するつもりでいたんですよ。この一週間、アホかと思うぐらいラノベ読みまくったし。面白いものも何冊かあったので、ご紹介するつもり・・・だったんですけどね。

ふぅ。

いや、本当に、仕事ってしんどいなあ。あっはっは。

私は、仕事がしんどい原因は、「仕事が溜まる事」だと考えています。
ですので、しんどい理由というのは以下の物があると思うんです。

・自分の処理能力の限界を超えた仕事が与えられること。
・何らかの理由で溜まってしまった仕事が処理できず、仕事が終わらない無限ループに陥る事。
・別に量も多くないし大変でもないけど、自分以外の誰かの決断が下されず、ずーっと待ち続けなければならなくなる事。

私が今回直面しているのは、三つ目です。
ええ。私自身、別に仕事はしんどくありません。つうか、私はどんなに忙しくても残業を2時間以内に収める事に定評のある男。この世の終わりかと思うぐらいしんどかった時でも、九時以降まで会社に居た記憶なんて、数えるほどしか無いやなあ。はっはっは。
・・・いや、サボりじゃないですよ。みんな、忙しい振りしすぎなんですよ、日本のサラリーマンは。まあ、俺は言われましたけどね。

「お前さー。どうせ今日も早く帰るくせに、忙しそうな振りするの、やめろよ」

とな。いやいやいやいや。逆だろ。早く帰るから忙しいんですよ。密度が濃いと言って欲しいな。そんなお前、二人がかりでやっても限界ギリギリみたいな仕事を押し付けといて、暇も何もあったもんじゃねえよ。まあ、彼らからすれば、僕も同じように遅くまで残業して、終電ギリギリに帰るというみじめな境遇に貶めたかったのでしょう。だが断る。

で。今回のしんどさについて話を戻しますね。
今私が読んでいるビジネス書、「前倒し」仕事術! ムリなく始められる、3つの習慣 には、先延ばしをやめる事によって、仕事が100%ラクになる!と書かれています。
これは、事実です。期限が一週間先で手間が1分で終わる仕事があるなら、今1分でやるべきです。一週間先まで期限があるからと、その期限ギリギリになってから仕事を始めるのでは、たかが1分の手間しか掛からない仕事を、一週間も抱え込まなければいけない事になります。精神的に苦痛なだけですので、それなら今すぐに片付けた方がよろしい。夏休みの課題をギリギリになってからやるか、7月のうちに終えてスッキリするか。学生時代の私は第三の選択肢、『最後までやらない』を選択する困った子供でしたが、これは今は棚に上げておこう。

学校の宿題程度であれば、先生に怒られる+自分の能力が伸びない+自分がクズに近づくというだけで、実質的に困った事にはなりませんが(なってる)、仕事ではそうはいきません。遅かれ早かれ、必ず片付けなければならない事であれば、さっさと片付けるべき。まあ、ほったらかしとけば誰かが助けてくれるかも知れませんが、それで得られるのは社会人のクズの称号なので、それはやめといた方がいい。いやマジで、役立たずの烙印押されて、放り出されたら、今の世の中生きていくのはしんどいので・・・
自分が前倒しで次々に片付けられる仕事をしている時は問題ありません。問題は、上司の決断が下されなければ動くことが出来ない仕事です。今私がてこずっているのは、本来であれば一ヶ月以上前に完了しているべき仕事でした。未だ終わる見通しが立ちません。ひどい。上司はただ一言「やれ」とだけ言ってくれればいいのに、それを言ってくれないのですな。
しかも、責任を取るのが嫌なせいかは知りませんが、出来上がったものが「全然駄目だ!」とは言う。ところが、「どう駄目なのですか?改善しなければならない点を教えていただけますか?」という質問には答えない。そうこうしているうちに、最初の案からどんどんかけ離れた仕事になって行く。予算と時間ばかりが追加されて行く。それでも改善されていくならまだマシなのですが、客観的に見て明らかに劣化して行く。その上司以外の全員が頭を抱えている。ううむ。
例えるなら、
「都市圏の一等地に一千万円の予算で城のような豪邸を建てろ。それも一週間で。設計図は無いし、要望も伝えないが、建てた物が気に入らなければ何度でもやり直しさせてやるぞフハハハハ。だって、出来上がってみないと、気に入るかどうか分からないじゃん?」
と言われているような物で、これは何という酷い無理ゲー(笑)

思えば、今までの仕事はしんどいしんどい言ってはいたものの、自分が完璧にこなしさえすれば、それで済む仕事ばかりでしたからね・・・それなりの裁量は与えられていましたし。何一つ決断しない(出来ない?)上司が、こんなにも厄介な代物だと実感したのは(知識として知っていたというのは別として)初めてかも知れません。どうしようもない気持ちであふれんばかりです(笑)
更に、その上司はあろう事か、仕事の進みが遅い事を私の居る部門の責任だと言い始めました。あはっ。あんたのせいだよ。どつきまわしたろか^^
本来の私は、その手の無能には我慢出来ない性質の持ち主であり、「ふざけんなこのド無能が死んでしまえ」ぐらいの事はサラッと言ってしまう人間なのですが・・・長年の社会人経験が俺を我慢強く変えたと言うのか?(まあ、周囲の人間が「お前、本当に殴りかかるのはやめろよ」とか注意して来る辺り、相当引きつった笑顔を浮かべているようですが)

とまあ、そのような仕事環境であり、しばらくは心労がたえないかも知れないです。はい。
本当に、「こういう類の仕打ちはもう慣れたぜ!」と思ったら、その先には新たな試練が用意されているのですから、世の中とはうまく出来たものです。はっはっは。世界は僕をどこまで鍛えるつもりだと言うのか。もうお腹いっぱいなんですけど。

じゃ、ここらで更新止まってる間に読んだ本をご紹介して、本日はこれにて失礼させていただきます。またの更新をお待ちください。下にリンク貼る本のレビューとか書きたいと思ってますが、果たしてどうなる事やら(笑)



・・・・・・馬鹿な。一週間で十九冊のラノベと二冊のマンガだと?
うん、本当はあと二冊ほどビジネス書も読んでるんだけど、ここに並べるのがなんだか申し訳ない気分なので、やめときます。どう見ても「仕事忙しくて更新出来なくて」とか言ってた人間の読む量じゃないという事だけは分かった。うへぇ。


みんなが幸せになる「お金」と「経済」の話

評価:
天野 敦之
すばる舎
¥ 1,365
(2009-06-22)
コメント:これからの時代に必要なことが、わかりやすく書かれた良い書籍です。世の中の全てがゼロサムゲームだと信じている人の目を覚まさせてくれます。

本日の書籍レビューは、

みんなが幸せになる「お金」と「経済」の話

です。

サブプライム問題とは何だったのか?金融危機とは一体何なのか?どうして今、こんなにも不景気にみんなが苦しんでいるのか?
そういったことを分かりやすく説明してくれる導入部に始まり、「その問題の根本にあるのは、一体何なのか?」という、分かりそうで分からない問題の根っこに迫ります。そして、その問題の解決策は、奇麗事と笑い飛ばされてしまいそうなシンプルな結論、つまり「私が幸せになり、あなたを幸せにし、みんなが幸せな社会を築くこと」という結末へ導かれます。

素晴らしいです。

色々な書籍を見てきましたが、この本の分かりやすさはダントツです。回りくどくて分かりづらい言葉が並べられていて「これ、著者自身も本当は分かってないんじゃないの?」と勘ぐりたくなるような書籍も数多くある中で、この本にはそのような疑いなど、持ちようがありません。何故なら、著者の言いたい事はどこまでもシンプルで、本質を突いたものだからです。
(逆に簡単すぎて不安になるぐらいですw)

サブプライム問題の解説などは本に書かれていますので、私からは控えておきます。
それにしても、この本に書かれている会社関係の所は、私自身が常々考えずにいられなかった事と重複していることが多々あり、非常に参考になりました。何というか、自分の考えの答え合わせをしてもらったような気分です。非常にすっきりしましたね。
というか、私の勤めている会社が、「駄目な例」に当てはまりすぎて泣けた。悲しい。

・強くなりすぎた株主の権利

株式を上場した会社では当たり前にやっている事ですが、会社は四半期(三ヶ月)ごとに業績を公開します。その上で、売り上げ見通しの発表や、計画の修正を行うわけです。が、これって何の為でしょうね?
たかが三ヶ月という短期間で、会社の何が分かると言うのでしょうか。
しかし、三ヶ月ごとに業績をいちいち書類にまとめ、公開しなければならないのです。その為にかかる手間や人件費も馬鹿になりません。それは、何のために行われていることか?はい。株主のためですね。
正直、私は「株主の評価を気にして短期的な利益を上げようとする経営者」は、アホだと考えています。
仮に、「一万キロのコースを、己の足だけで踏破しろ」と言われた時、皆さんはどうするでしょうか。おそらく、一日に歩ける距離を計算し、要所要所で休憩を取り、計画を立てて歩き始めるのではないでしょうか?坂道の多い難所であれば、歩ける距離を短く見積もるでしょうし、峠に入る前には一泊して休息を取る。そのような計画を立てるのでは?
一万キロのうち十キロを、走り抜けて疲れ果てる馬鹿は居ないと思います。が、「一万キロを走り抜けろ」と無茶苦茶な事を言う馬鹿が、株主(短期の利益を狙う投資家)なのです。
こんな馬鹿の言う事を聞いて、つぶれる経営者は馬鹿です。何故なら、株主は会社が途中で倒れようがどうなろうが、知った事ではないからです。高騰した株を売り抜け利益を得られたら勝ち・・・このような小さな事を言う者を相手にして、自分がつぶれては話にならない。
もちろん、長期的に株を保有することで会社の成長を見守る、素晴らしい投資家も中には居ます。しかし、こういった優良株主は、短期の結果には踊らされないものです。ハイエナのために優良株主を犠牲にするような事は、あってはなりません。

・奪うことで利益を得る仕組み

ゼロサムゲーム(Win-Loseの関係)という言葉を聞いたことのある人は、多いのではないでしょうか。誰かが得をすれば、誰かが損をする。当たり前だと思いますか?
百円の価値しかないものを、千円で売った場合、売った人間にとっては「九百円の得」ですが、買った人間は実際の価値より高い物を買わされている訳ですから、「九百円の損」です。これは、利益を得るための当たり前の構造・・・だと考えてはいけないのです。
企業には、特に先進国の企業においては、『新たな価値を創造する事』が求められています。何故なら、効率化してコストを下げたところで、中国や東南アジア諸国のような人件費の安い国には、絶対に敵わないからです。効率化を推進すれば、新たな価値を創造する力が失われてしまいます。つまり、バブル崩壊後に日本がたどったやり方は全て間違いなのです。
新たな価値を付与した商品を、適正な価格で提供する。こうする事によって、初めて「Win-Winの関係」が顧客との間に築かれるのです。私は得をする。あなたも得をする。こういう関係が、商取引の始まりだったはずです。物々交換の時代には自然に出来ていた事が、今はなぜか出来なくなっている訳ですね。ははは、嘆かわしい。
どう見てもインチキにしか見えない浄水器を売ってる方。この話を聞いて、どう思われますか?

本書における結論を、私は「私は幸せになりたい。あなたを幸せにしたい。みんなと一緒に幸せになりたい。みんながそう考えて、互いの幸せを望むようになれば、かならず全員幸せになれる。そのためには、まずは私がそのように変わらなければならない」と読みました。
人間が変える事が出来るのは、唯一自分ただ一人だけです。人を変える事は誰にも出来ません。例えあなたが親であろうと、あるいは神であったとしても、誰かを思うように変える事など不可能なのです(この辺りを理解していない幼稚な人間が、最近多いような気がする。幼児虐待をする親とか)。ならば、自分が変わらなければ。自分が変わり、その人柄に触れて周囲が自ら変わろうとするぐらいに、ならなければ。

本書において、一見簡単そうな「人として人を幸せにするために生きる」という事について、このように書かれています。

「自分の良さを伸ばしていくための努力が必要だし、相手を尊重し受け容れるだけの自分の人間性が問われるから、決して簡単ではないんだよ」

その通りですね。大きな人間になるためには、努力を続けなければなりません。

ニートを揶揄するコピペで、こんな感じのがありましたね(正しくは覚えてないですが)。
「親のすねをかじって食べる飯は、美味いか?」
誰かを不幸にしながらでは、人は決して安息を得る事は出来ないのです。食事は美味しくない。何をしても気力がわかない。そんな状況から抜け出すためには、誰かを幸せにしなければ。誰かを不幸にすればするほど、人は命の輝きをなくして行くのです。その先に待っているものは、絶望と死だけです。明るい生を謳歌したいなら、誰かを幸せにしなければね。

そのような事を考えさせてくれる、素晴らしい書籍でした。


よし、社長になろう。

はい。のっけからタイトルでふざけた事を言って、すみません。

今週は、異動により課長が居なくなってから初の一週間という事で、多忙を極めました。
・・・いや、実際のところは、そんなに忙しいと言うほどでもなかった・・・か?まあ、久しぶりに残業無しで帰れた日は無かった一週間でした。
と言っても、あまり遅くなると帰るための交通手段がなくなりますので、そこまで遅い時間になったわけではありません。そういう意味では、やはり一時期に比べればぬるま湯であると言わざるを得ませんね。

しかし、今週は忙しかったですが、入社以来初めてと思えるぐらいに、楽しい一週間でした。

何しろ、僕の仕事に指図をする人間が居ない!

思えば、入社以来今に至るまで、誰にも指図されずに好きな仕事が出来た時間というのは、今週を除いて一度も無かった。新入社員時代は技量が足りない為、当然ながら先輩諸氏に見守られ、命令されて過ごしてきました。
そして、つい先週までは、課長という強力なワークスキルを持つ方がすぐ側にいた為、私の考え方も「まあ、俺が何もしなくても課長が何とかするだろう」と考えがちでした。さらに、私が下手な意見を言う事は課長の足を引っ張る事につながると思ってしまい、なかなか積極的にはなれませんでした。
しかし、今は違う。私がやらなければ、何も動かない。そういう状態に追い込まれた=責任を負う立場になったという事に、いつになく興奮している自分が居ます。

とりあえず、この一週間の間に、部長に対して
「実は私はこれがやりたかった、あれがやりたかった、ここをどーすればこの会社はもっとよくなる、今の会社はここが死んでる腐ってる。だから私はこれがやりたい」
と、言いたい放題させていただきました。
そして、部長も苦笑いしながら
「お前の言う事は正しい。でも、そこまで言うならちゃんとしろよ?お前が変えろ」
と言ってくれました。

楽しいなあ。
世の中には「好きな事はやりたいが責任は取りたくない」と言う人が、意外とたくさん居ますが、私にはその考え方は理解できないな。責任があるから、好きな事をするのが楽しいのに。

ドラッカーのマネジメントにも「責任を与えられた者は、与えられた職務に全力を尽くす」というような事が書かれています。責任を持たない人間は、言われた事しか出来ません。それが、日本の企業を覆い尽くす倦怠感の正体だと思います。実感として。

「責任を取るのが嫌だ」と言う人間は、多いです。しかし、その考えがどこから生まれるかと言えば、「出来る限り最善を尽くしたとしても、結果が出ない。そして責任を取らされる」という事例が、世の中に氾濫しているからだと思います。
これに対して、私が尊敬するライブレボリューションの増永社長は、
「結果に対して責任を求めない。過程に対して責任を求める」
というスタンスを取っています。
素晴らしいな。増永社長の経営に対する真摯な取り組みは、本当に素晴らしい。
増永社長は、自分の会社において『絶対に怒らない』事をルールとして組み込んでいます。例えば、一千万円の損害を会社に与えた社員が居たとします。その時、増永社長は言います。
「あなたは、一千万円の損失を会社に与えました。しかし、あなたは同じ失敗を二度と繰り返すことはしないでしょう。しかし、あなたをクビにしてしまえば、違う社員が同じ過ちを繰り返すかも知れない。あなたには一千万円分の授業料を払ったと考えています。あなたには、ますます仕事で活躍してもらわなければならない。第一、あなたにその仕事を任せたのは経営者である私なのですから、その一千万円の損害で会社の経営が傾くようであれば、その責任は私にあるのです」
人の上に立つ者が、みんなこのような事が言えるようであれば、世の中はまだまだ素晴らしいものになると思うのですが・・・
ちなみに、上の一幕は、増永社長が実際に経験したお話を要約してますので、気になった人は起業家物語を読むのが良いでしょう。ちなみに、私は起業家物語はもちろん、ブログの記事も全部読みましたよ(結構時間かかった)。
ついでに言うなら、私が読むビジネス書の大半は、増永社長が読んだものです。完全に増永社長の追っかけ状態ですね。もっとも、直接お会いしたいとは思っていません。今はまだ、正面から向き合える気がしない。

増永社長は、本当に私のヒーローです。私も増永社長のように生きたい。

私は思うのです。今の会社が嫌だ。だから、辞めよう。今までそう考えてきました。しかし、この一週間、初めて全力で仕事に取り組んで、「楽しい!」と心からワクワクして、ちょっと考えを改めました。会社の仕事を楽しくないと感じていなかったのは、私が楽しもうとしていなかったせいなのではないか、と。積極的に仕事をしていなかったから、楽しくないと思っていたのではないかと。
私は、我が社の社員はロクデナシばかりだと思い込んでいました。
何という視野の狭さでしょうか。私が心を閉ざしていたから、誰もが私を避けていただけで、本当は味方はすぐそこに居たのだと、気付かせてくれた一週間でした。
誰もが私と同じような不満を胸に秘めて、何とかしたい、でもどうすればいいのか分からない。そんなジレンマに苦しむ仲間ばかりだったのだと気付きました。
(・・・いや、まあ、本当に駄目な人も居るけど・・・でも、そんな人にもきっといい所のひとつやふたつぐらい・・・ねえ?)

強く生きよう。みんなで手を取り合って、助け、助けられる関係を築こう。
私は、社長になりたい。社長になって、自分の会社を、誰もが働く事を誇りに思えるような立派な企業にしたい。助けたい。助けられたい。時に競い合い、自分を高めたい。

また、無茶な目標を立てたものだと、我が事ながら呆れざるを得ません。しかし、「そうしたい」と本気で思った事だけは確かだから、こうしてここに書いておきます。書いてしまえば、もう引っ込みはつきませんからね!(笑)
それに、気付いたんです。サラリーマンは、上司の人となりに、人生のかなりの部分で影響を受けます。自分のやりたいようにやる為には、自分が一番偉くなるしか無い。そう思って、世の大抵の人達は出世競争に身を投じる訳ですね。私は今まで「出世なんかどうでもいい。こんな会社で出世しても何にもならない」と思っていましたが、これは間違いでしたね。斜に構えて、「そんな物は欲しくないよ」と手の届かない夢を諦めたポーズをしてかっこつけても、私は幸せになれない。
社長になりたいという夢を持っている人って、実は結構たくさん居るんじゃないかな?まあ、社長になりたい人が、何を目的になりたいと思っているのかは知りませんが。(あまりほめられた動機じゃない人も多いと思いますが)

すべては、夢を持つことから始まる

大好きな言葉です。

勢いあまって『ライブレボリューション』カテゴリを作ってしまった・・・どうするんだ俺。ライブレボリューションとは縁もゆかりも無い人間なのに。しかも、普段は不真面目全開の変態道まっしぐらな記事ばっかり書いてるちょっとアレな人なのに。
こんなブログで増永社長のこと書いて、ご本人の迷惑になったりしないかな・・・今更ながら、ものすごく心配になって来たぞ・・・
でもまあ、大丈夫か。一日百アクセスも無いような小さなブログですしね。

迷惑だったら、消します。でも、一人の人間として、増永社長の姿勢からは学びたい事がたくさんありますので、出来ればそっと見守っていただきたいと思います。

私は、本当にライブレボリューションのファンなんです。どのぐらいファンかと言えば、ライブレボリューションが株式上場する時に、全力で株を買う為だけに証券会社の口座を開設したぐらいです。
(私は株式投資はまったくやりません。また、ライブレボリューションが株式上場するなんて話も、まったく聞いたことが無い。でも、将来絶対に上場すると思います。遅いか早いかの差でしかないなら、今から株式取引専用の口座を開いたとしても、何も問題は無いな)

ちなみに、「意外と出世してこの会社を変えるというのも悪くないんじゃないか?」と思ったきっかけは、部長が私を呼ぶ時に、

「おい、真人課長!」

と呼んだ事だったかも知れません。元課長が異動されたので、私を課長と錯覚してしまったのでしょうか(笑)
(実際にはちゃんと別部署から新しい課長が赴任されています)
単なる言い間違いですが、その一言で「もしも私が偉くなったら、ここを直して、あそこを改善して・・・」といった考えが次から次へとあふれ出し、居ても立っても居られなくなってしまったのです。また、部長にそう間違えて呼ばれるという事は、実は私にもまだ出世の目はあるのか?とね。よく考えたらまだ二十代なんだから、挽回は可能な歳でしたね。今が一番バリバリ働ける年齢ではないか・・・諦めるのはちょっと早すぎるぞ、と。うん。何で俺、今までそんな簡単に色々諦めてたんだろう?
その程度のことでテンションが上がるのですから、私も単純な男ですね(笑)


掃除道

評価:
鍵山 秀三郎
PHP研究所
¥ 540
(2007-05-02)
コメント:掃除の尊さを気付かせてくれる本。

本日のビジネス書レビューは、

掃除道 (PHP文庫)

です。

ところで、この本って文庫版が出てたんですね。知らずにハードカバー買っちまったよ。というか、確かこの本を買った時、私はメモ用紙に欲しい本のタイトルを二十冊分ほど書き綴り、

「ヘイそこの店員さん、申し訳ないけど、このメモに書いてる本、全部買うから用意してくれる?」(意訳。さすがにこんな言葉遣いはしません)

とお願いしたのであった。
うーむ。これでは、文庫版もハードカバー版もないよな。基本的には全てハードカバーで揃えてしまったような気がする。
そして、あんな事を本屋にお願いした時の私には、謙虚な心が足りていなかった。この本を読んだ後では、その事は認めざるを得ない。まあ、いいお客さんだとは思いますし、そこまで砕けた頼み方をした訳でもありませんけどね。その時の会計は、二万円を軽く超えた・・・

本書は、イエローハット代表の鍵山秀三郎氏が、掃除の有効性について語る内容となっています。
特に、トイレ掃除が人にもたらす効能について、ただひたすらに語っていらっしゃいます。
掃除道具の揃え方から便器の磨き方、それにより起きた素晴らしい効果の事例の数々が、丁寧に書かれています。ただ、その掃除の方法が『絶対確実に正しい』とは言えないと思います。
(サンドメッシュで尿石などを削り落とすやり方は、トイレ自体を傷つける事につながる可能性がある・・・と言っても、そこまでしないと落ちない汚れを落とそうとしているという事なので、仕方ないですけどね。でも、多分トイレ製造のメーカーとかは「やめて」って言うだろうなあ)
が、その意気やよし、です。

人間は、暗い所、汚い所、臭い所を、本能的に避けます。そして、トイレは汚くて臭い場所です。私が子供の頃は、公園のトイレなどと言うと、一瞬でも早く出て行きたい場所であったように思います。息を止めて入って用を足して、速攻で逃げ出すように外へ出たような。その時の事を思う限り、最近のトイレはどこも綺麗ですよね。それは、こうした本にも書かれている『掃除をする事によってもたらされる効果』について、一般にも認識が広がっている為でしょう。
私が最近引っ越したのも「こんな、いくら掃除してもボロボロの場所に住んでいては、自分の人格が駄目になってしまう」と考えたせいでもありますし。(まあ、周辺環境がやばかったのが第一の理由ですが)

掃除道の帯には「掃除を毎日続けるだけで、赤字企業が黒字になり、荒廃した学校が甦り、犯罪も減少した!」と書かれています。掃除するという観点だけから見れば、「そんなアホな」と思いそうな事ですが、さにあらず。ただし、この帯のあおり文句は嘘ですね。掃除をした『だけ』では、そのような素晴らしい効果は生まれません。
掃除をすることで、心を磨き、その心に周囲が感化されてこそ、そういったプラスの効果が働くと言うべきでしょう。みんなが適当に掃除をしても、何も変わることはありません。掃除をしようとする心と、その徹底ぶりが重要です。

掃除などという面倒事は、誰もやりたがりません。私自身は週に一度ざっと部屋を掃除するぐらいで、掃除が楽しいと思った事はありません。しかし、それではいけないと掃除道は言います。
掃除をすることは、謙虚な心を持つこと。掃除をすることは、自分の心を磨くこと。掃除をすることは、自分以外のものを大切に愛するということ。それが出来た時、いつの間にか自分本位の考えから抜け出すことができ、周囲にも愛される人間になっている。そういう事が書かれているのです。掃除道によれば、その為にもっとも効率のよい手段、誰とでも感動を共有できる方法が、掃除なのだと言います。

究極的な意味で、幸せな人生とは何でしょうか?人を愛し、愛される事ではないでしょうか。例え世界一のお金持ちであっても、孤独であることは不幸です。
人間は誰かに認められたいと願っています。しかし、残念な事に「認められようとする」という行動の中に、認められるきっかけはありません。そういう、ギラギラした欲望とは無縁の所に、羨望は存在するのだと思います。認められるためには、まず認めること。
みんなが嫌がる事をすすんで行う。誰かがやらなければならないことを自分がやる。なるほど、トイレ掃除とはそれらの条件を満たした、尊い行為であるのかも知れません。

掃除に学ぶ会という団体が、本書では紹介されています。活動内容だけパッと聞くと、果てしなく胡散臭い団体だと思います。前知識無しに「台湾へ自腹を切って旅立って、現地でトイレ掃除をひたすらやって帰って来る」と聞かされたら、正直気は確かかと思うでしょう。
しかし、本書を読めば、パッと聞く限りでは「何だそれは!?」と思うような行為の中に、感謝の心があり、感動があり、未来を思う尊い精神があるのだという事に気付きます。だとするなば、台湾へ出掛けてトイレ掃除をする、そんな生き様もアリだな、と思える訳です。

あ、ただしひとつだけ。掃除に学ぶ会の方々へ。
トイレ掃除する時に、素手素足はやめておいた方がいいですよ・・・その方が、トイレを感じることが出来るという主張が理解できない訳ではありませんが、トイレとは雑菌も多く繁殖する、どう言いつくろおうが不潔で危険な場所です。ちょっとした怪我から雑菌が入り込んで化膿するなどという事故もあり得ますし、感染症のリスクだってあります。みなさまが社会の役に立つべく、心を込めて掃除をなさるのは非常に共感できるのですが、そうであるならばなお衛生面には気をつかうべきです。健康に、長くトイレ掃除を続けるためには、必要な事ではないでしょうか?素手素足にこだわって病気怪我の犠牲になることは、本末転倒。避けられるリスクなら避けるべきではないでしょうか?消毒してるから大丈夫、と断言できる事ではないと思います。
手袋ごしであっても、トイレを美しくする事は出来ます。その程度のことで、皆さんの尊い精神が侵される事は無いと思うのですが、いかがでしょうか。
(逆に言うなら、掃除に学ぶ会の方が「絶対に素手素足の掃除以外は認められない!」と言うようであれば、それはひとつの形式に縛られているという事であり、残念ながら私も認識を改めなければいけない。鍵山氏の心は、その点にのみ集約する物ではないはずです)
2010年現在、素手素足による清掃は行われていないとの情報がありました。・・・が、私が調べてみた範囲では、素手での清掃を続けているように見えます。地域によっても違いがあったりするのでしょうか。力不足で申し訳ない。掃除に学ぶ会の方がいらっしゃっいましたらコメント欄にて教えていただけませんか?なお、私は公衆トイレを掃除するのであれば、長靴、ゴム手袋、マスク(+掃除道具)ぐらいの装備は最低限必要と考えております。(2010年4月26日追記)

まずは私も、会社の自分の机まわりの整理整頓、自分の部屋のトイレ磨きあたりから始めてみようかと思います。

追記

インターネットで検索してみたら、案の定というか何というか「掃除に学ぶ会は頭がおかしい。トイレ掃除で大切な事に気付けるとか言ってるけど、トイレ掃除という最も屈辱的な事を徹底して叩き込んで、人を奴隷化しようとしている!宗教などの人格改造と変わらない!」(多数意見の要約)といった主張も見受けられました。なるほど、視点を変えて見れば、そういう見方もあるんだな。というか、一般的にはこっちが多数派なのかも知れません。

しかし、そういう回答をする方であれば、「誰かに従う事はかっこ悪い事だ」「謙虚である事は自分の意見を言えないという事で、情けない事」というような事を、考えているのではないでしょうか?私は、それは間違っていると思います。

我が強い事と意思が強い事は、別物です。強気である人間が、精神の強い人間であるとは限りません。一見気の弱そうな人が、実はあきれるほど強靭な精神を備えているという事は、よくある事です。そして、著者の鍵山秀三郎氏は、謙虚な人柄の中に恐るべき精神力を備えた、仁の人であるように思います。私は、この人を否定する言葉を持ち合わせていません。

氾濫する否定意見は「トイレ掃除が嫌だ!」という一言で済む感情を、理論武装しただけの物に見えます。嫌なら嫌だと言えばいいと思うんですけどね。
少なくとも、私ならそう言うでしょう。余計な付け足しは面倒くさいだけです。


なまけもののあなたがうまくいく57の法則

評価:
本田 直之
大和書房
¥ 1,050
(2009-07-16)
コメント:ズバリ自分の事を言い当てられた気分です。

いやー。すごい本に出会ってしまった。電車で読み始めて、一気に読み終えてしまいました。(家に着く頃には読み終わってた)

なまけもののあなたがうまくいく57の法則

ビジネス書で『レバレッジ』と言えばこの人。本田直之氏の著書です。

この本は題名の通り、「どうしても怠けてしまう。一生懸命に努力を続ける事なんて出来ない」という、私のような人間にピッタリ来る事が、非常によく書かれています。読んでる間中、「あるある、うん!それはあるな!あるあるあるある!」と、あるあるの連続。これは酷い。

何しろ私の怠け癖と来たら酷い物で、油断すると何もせずにゴロゴロとベッドで横になったまま貴重な休日が一日終了するなんて事もザラにあります。夏休みの宿題?締め切り寸前に慌ててやる・・・どころか、最後までやらなかった事もある。受験勉強など計画的に出来るはずもなく、「私立大学の文系なら、英語国語世界史の三教科だけ勉強すれば大丈夫!」という訳でそちらのコースに進むも、最後には英語も世界史も捨てて国語のみ一点突破という荒業を成し遂げた男でもあります。

うん、本当に終わってんな学生時代の俺。少しは反省しろ。

そんな私にこの本が語りかける、なまけものの特徴。
結局、57個もある法則のうち、軽く40個以上が自分に当てはまるという脅威の結果が!
うん。薄々勘付いてはいたけど、俺って本当になまけものだったんだな(笑)

と、自分のなまけもの自慢をしていても仕方が無いので、本編に進みましょう。
この本の著者は、「なまけもの=始められない、続けられない、だらだらしてしまう」としています。ちなみに私は全て当てはまります。
また、著者はまえがきにおいて「なまけものである事は必ずしも悪いことではない」としています。この点は私自身常々感じていた事ですが、なまけものは工夫をします。逆に言うと、工夫をしなければ怠ける事が出来ないので、必死で工夫をするのです。努力はしません。

では、本書にて紹介されている中で、特に私が「それは言えてるな」と思ったものを、ご紹介しましょう。本当は全部紹介したい所ですが、十個に絞ります。(それでもかなり長くなりました)
私の実体験も交えてどうぞ。

・「やればできる」はウソ

なまけものが陥る最悪の罠。それが「やればできる」です。
なまけものはね。やっても出来ないんだよ。なのに、『出来ると思って事にあたるから、出来なかった時に激しく落ち込む』のです。身の程知らずと言ってしまえばそれまでですが、これは本当にツライ。いろんな意味でツライ。ぶっちゃけ、今ニートやってる若者ってのは、親に「あなたはやれば出来る子だからね」って刷り込まれた自意識過剰な馬鹿ばっかりなんじゃねえかな。
なまけものの武器は「自分は出来ない事を知っている。だから工夫する」という事です。出来ないくせに「やればできる」と思い込んでしまった人間は、工夫をしません。だから、すぐに潰されるのです。

・「こうなったら楽しい」を想像する

大きな夢を持つことは、よい事です。私も大きな夢を持っています。自分自身の手で世界征服を成し遂げて、世界平和を実現できたらどんなに幸せかと思います。が、それは無理だ。(というか、もちろん冗談です)
なまけものが持つ目標は、もっと身近な所に無ければいけません。にんじんは鼻先にぶら下がってるからがんばる気になるのであって、百キロ先に置かれたにんじんの為に走るヤツは居ない。
私の場合、スポーツクラブに通って筋トレに励んでいるのが、これに当たりますね。健康の為にっていうのも当然あるんですが、もっと単純に「引き締まった肉体を手に入れて、海にでも遊びに行けば、きっと楽しいだろうな」という事を想像しています。これはモチベーションが上がる。今年の夏が楽しみですね。

・「続けること」に努力しない

続ける事を目標にしてはいけません。何故なら、なまけものは続ける事が出来ないからです。
続ける事にではなく習慣にしてしまう事に努力するべきです。大体、続ける事を目標にがんばった事って、たいてい中途半端に終わるじゃないですか。少なくとも俺はそうだ。
『何か行動する→結果が出る→楽しい→続く』このサイクルを目指して、最初は短期的にでも集中して物事をこなす事が大切です。
私がスポーツクラブ通いを続けられているコツは、最初の一ヶ月、二日に一回行くと決めてそれを守った事だったと思いますね。明らかに筋トレのマシンのおもりの量が変わりましたから、やりがいが出たのでしょう。体重も減ったし。

・変えられないものは比べない

競争は大切です。互いに切磋琢磨するライバルとしのぎを削り合うことは、上達への近道でしょう。スポーツ選手だって、「ライバルのアイツが居なかったら、こんなにしんどい事は続けられなかった」と言うに違いありません。
が、比べても仕方ない事もある。たとえば、自分がどんな家庭に生まれたか?裕福な家庭?貧しい家庭?そんな事は比べても何にもなりません。せいぜい嫉妬心が生まれるぐらいです。そして、嫉妬心はストレスにつながり、自分にとって何のプラスにもなりません。
したがって、自分が他人と比べようとしている事が、『変えられる事なのか、変えられない事なのか』の見極めだけは、キッチリつけなければなりません。
まあ、俺はこの点に関しては体現出来てる自信があるぞ。生まれながらの虚弱体質(十歳まで生きられないと医者に宣告されるレベル)に加えて、物心付く前に片目の視力を喪失しています。みんなが持っていて当たり前と思っている、健康な肉体、両眼で見る視界。どれほど切望したか知れません。
が、そんなもん比べるだけ時間の無駄無駄。無いものは無いんだからあきらめるしかない。
第一、本書にも書かれていますが、こういう場合比べるものは『自分の短所』と『相手の長所』になりがちです。相手にも短所はたくさんあるはずなんですがね。こんな条件で勝てる訳あるか。アホか。

・常習性のある浪費に手を出さない

・・・パチンコにはまってた時期があります。毎日のようにタバコの煙と騒音の充満する、最高に健康に悪い環境に自ら飛び込み、何万円も負けて帰る。これを繰り返していた時期があります。合計すりゃ百万ぐらい負けたんじゃねえかな。何という事だ。まさに時間と金の無駄!
常習性のある浪費は、なまけものには厳禁!パチンコ以外の例でいくと、酒、タバコ、女(風俗など)が挙げられるのではないでしょうか。
ちなみに私は、時間と金の無駄と悟ってパチンコを辞めようとした時、どうしたのか。アレは、一度はまった事のある人は分かると思うんですが、「当たりの快感」「お金が儲かるという快感」「まぶしい光、けたたましい音、大音量で鳴り響く音楽」が凄まじい相乗効果をもって襲い掛かってきます。あれは一種の洗脳だよね。タチ悪いよね。
で、僕はパチンコを打ちたくなる度にニコニコ動画とかYouTubeでパチンコの実機配信を見続けました。二時間ぐらい。もちろん、絶対に打ちに行かないという条件付きで。
すると、「当たっている時の演出」しか目に入らない訳です。金が儲かるという快感と相乗効果を生まなければ、これほどつまらない物はありませんでした。完全に他人事ですね。おまけに、動画に釘付けになってる二時間という時間が、途方も無くもったいなく感じるようになります。二週間で飽きました。それ以来、僕の頭には「パチンコ=つまらない物」と叩き込まれていますので、パチンコ屋の前を通っても、何も感じる事は無いのです。いやー、ちゃんと抜け出せてよかったー。(ただし、この方法は中途半端にパチンコを打ちに行きたい時にやると、単なる代償行為となってしまい、意味がありません。注意)

・曜日で作業を決めておく

これは効果的ですね。私は、水曜日と日曜日を洗濯の日。土曜日を掃除の日と決めています。なまけものは、習慣化する事が大事。
そのせいで、土曜日に出勤して掃除が出来なかったりすると、正直ちょっとイラッとする(笑)

・自分の「持ち時間」を把握する

かしこいなまけものは、自分の時間を把握するために、時間配分表を作るのだそうです。
私の場合、時間配分表は作りませんが、「七時に帰宅した場合」「八時に帰宅した場合」「九時に帰宅した場合」の三通りで、家での行動を大体パターン化しています。
一時間はブログの更新、二時間はネットサーフィン、二時間は読書(七時帰宅の場合)といった感じで。そこからは、帰宅の時間が一時間遅れる度にネット→読書→ブログの順番で削られて行く訳ですね。
旅行先での時間配分なども、非常に重要です。使える時間が何分間あるのか、という事は常に意識しておいた方がよいです。これを意識しない休日が、僕の場合は危ない。時間配分表なー。効果的なんだろうけど面倒くさいなー。<コラ

・人に教える
・人に教えてもらう


人に教える=アウトプット。人に教えてもらう=インプット。
私が本を読んで、こうした場で紹介する事はアウトプットですね。大体にして、なまけものの記憶力なんてものはいい加減なもので、「確かそんなことが書いてたような気がする」レベルでしかありません。こうして紹介を書いたりすると、本を読み返しながら書く事になるので復習になりますし、自分がこの本を読んで何を感じたかを書き残す事も出来るし、一石二鳥ですね。
そして、人に教えてもらうこと。自分ひとりで何もかも知ることは出来ません。色々な人に必要な知識を教えてもらえる環境を作る事が、なまけものには必要なのです。大切なことはたくさん覚えることではなく、教えてもらったことをどのように活かすか、です。
「怠け者だったら友達をつくれ。友達が居ないなら怠けるな」(サミュエル・ジョンソン)
私の場合、知恵を貸してくれる人に困った事はありません。友達というのとは少し違うかも知れませんけど。

・自分にペナルティを設けない

「ペナルティが嫌だからやる」というのは、非常に優れた自己管理に一見思えます。が、人間は楽しくない事を歓迎しません。周囲に強制されるなら仕方ないかも知れません(私は会社の課す営業ノルマなどにも否定的な立場です)が、自分にペナルティを課すことなど出来るでしょうか?まして私は生粋のなまけものなのです。そんなの無理に決まってる。
第一、「ジムに行かなかったら、次の週はお酒を飲まない」なんて言ったって、ジムに行く程度の事も出来なかった人間が、お酒を絶つなんて事が出来るはずが無い。それが出来るなら最初からやってるって話ですよ。
ペナルティを課すこと、ノルマを課すこと、なまけものにはしんどいだけです。ストレスになるだけだから、やめておく事をおすすめします。(努力家であっても自分にペナルティを課すのはやめた方がいいと思うんですけどね)

最後に。
この本、私はまだ一通り読んだだけですが、今後見返す機会が多くなりそうな予感がしています。書かれている事ひとつひとつが、私自身の性格にジャストミートしていたという事もありますが、多分これは、後々じわじわと効いてくるタイプの本です。

なまけものである事は、必ずしも悪い事ではない。

私は、常々そう考えていました。それは、私自身がなまけものであるにも関わらず、会社において役に立っているという自負があったからです。むしろ、堅実に仕事をこなそうとする人間が、後々にとんでもない状況を引き起こしたりする事を、私は社会人六年という若輩ながら、幾度と無く目にしてきました。しまいにはそういう気配を感じて、問題になる前に本人に注意するようになりました。
(なまけものを自認してる私が、まじめに仕事してる相手の不備を指摘すれば、面白くないだろう事は分かってたんですけどね。これが会社で敵を作ってしまった理由のひとつでもある)

どうやらそれは、こういう事だったようです。(まえがきより抜粋)

・有能ななまけもの(タイプ:プロジェクトリーダー)
理由:自分が怠けるため部下の力を最大限に活用し、いかにたやすく成果を挙げるかを工夫するため。

・有能な働き者(タイプ:副社長・専務)
理由:自分自身が勤勉に働くので、部下を率いるよりは参謀として補佐役に回るほうが力を発揮するため。

・無能ななまけもの(タイプ:経営者やエリアマネージャーor一般の従業員)
自ら考えようとしないため、参謀の言う事を、もしくは上司の命令をそのまま実行するため。

・無能な働き者(タイプ:組織に不要な人物)
理由:過ちに気付かないまま実行し、さらなる過ちを呼び込むため。


このように、無能な働き者がもっとも始末に負えないのです。いや、これは学生のみなさんは笑うかも知れないけど、ガチよ?混乱を呼び込むのはいつだって無能な働き者です。まあ、これが下っ端として居るだけならまだいいんですが、これが上に行ってると本当に死ねる。これは私が社会に出てから学んだ、もっとも大切な事のひとつです。

私が目指す先は、「有能ななまけもの」で決定ですね。今は「無能ななまけもの」と「有能ななまけもの」の間を行ったり来たりしている(無能率が高い気がする)私ですが、有能ななまけものを目指して精進して行く中で、この本は何度も読み返す事になるでしょう。
いい本に出会えた事に、感謝です。

※ただし、なまけものでない方(努力家の人)にとっては、禁断の書と言えるでしょう。何でこんなメンタルの人間が居るのか理解出来ないんじゃないかな(笑)


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