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  • 2022.07.08 Friday
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憲法9条は有効か?

今日、日経ビジネスオンラインの記事で、

『憲法9条こそ最強の安全保障政策だ』

という記事を見かけたので、少し私の考えるところを書いてみましょうか。

その前にこの記事の論旨を簡単に述べておくと、

・日米安全保障条約は、駄目だ。
・憲法9条で不戦の地域を広めていこう。
・中国・韓国と一緒に、協力して安全保障を考えて行こうぜ!
・大丈夫だ。中国は日本に攻め込んだりしない。だってそんな事しても得な事ないでしょ?

と、こんな所でしょうか。
おいおい。尖閣諸島の問題が起きてる真っ只中で何を言っているんだこいつは・・・
中国が日本を侵略することには、十分に旨味があります。ちょっと認識が甘いんじゃないかな。
おまけに、中国様のことは簡単に信用するくせに、何故アメリカにはそんなに辛口なんだ・・・どっちも人間が運営している国家やぜ?
あ、こんな事も言ってましたね。「民主党に政権交代した今こそ、国防を見直す時!」とか。いやいやいや。選挙の時、国防の問題で投票した国民なんか居ないから。訳の分からんすり替えはやめろ。

私は日経ビジネスオンラインの記事が結構好きで、毎日全ての記事に目を通しているのですが、たまにこういう訳の分からないコラムが載るから困る。いいコラムも多いんですがね。記事のアンケートには『読むに値しない』という項目を作るべきですよ、日経。
(日経新聞なんかを読んでても、「それはまったく間違っているな」という論旨に遭遇することがたまにあるんですよね。天下の日本経済新聞でもこのレベルか(笑)って言いたくなるような酷いのが)
結論から言いますと、この記事で書かれている事は理想論に過ぎず、実効性に乏しい(というか無い)と言わざるを得ない(笑)

私は、基本的に憲法9条論者は、脳みそが平和ボケして腐っていると思ってます。
脳みそお花畑ですな。さぞかし楽しいことでしょうなー。きっと、未だかつて一度も誰かにいじめられたり迫害されたりという事がないに違いない。何かつらい目にあってなお、そういう考えを持ち続ける事が出来るなら、『そのことから何も学んでいない』という事かと。ごくわずかな可能性として、憲法9条を守れるなら、俺は死んでも構わない!ぐらいの、狂信的な境地にまで到達してしまった人が居る可能性も・・・まあ、ほとんど無いと思いますけどねw

平和が嫌いな訳じゃないんですけど。誰も争わないで済む世界なんて物が実現したらいいなー、とは思いますけれど。
『絶対多数を幸福にしようと考えたとき、平和であるに越した事は無い』という事は間違いないと思います。長期的な視点で見れば、誰もが誰かの役に立ち、そこかしこにWin-Winの関係が築かれている社会が、理想的に決まっています。そして、その事に気付いて、そういう社会を目指してがんばっている人は、たくさん居ます。
しかし、そうはなっていないのが現実。
理想を追うことは大切ですが、「憲法9条で侵略の意図が無い事を公表して、自分が武器を捨てて見せれば、きっとみんなも武器を捨ててくれるはず!平和な世界になるはず!」というのは、甘えでしかありません。歴史を見れば、人類がそういうアレじゃない事ぐらい分かるでしょうに。
「いいや、昔はそうでもこれからは違う!」
と、昔よりも人類は賢くなっている論者は大勢居ますけど、それを言うならその事を論理的に証明してもらわないとね。三国志の時代の人類と、今の人類比べて、そんなに賢くなってると無邪気に信じる根拠は、一体何なんだ?

私は、世界平和は実現可能な未来だと考えています。(時間を掛ければ不可能ではない。何百年掛かるかは知らんけど)
ただし、その世界平和は憲法9条の不戦によって為されるものではないとも思います。
油断すれば寝首をかかれる。武器を捨てた振りをして、懐にナイフを隠し持つぐらいの事は、用心深いまともな人間ならする事だ。何も考えずに武器を捨てるのは間抜けのする事。そんな平和ボケの間抜けは、瞬く間に餌食にされてしまう。
ちょっと治安がアレな国へ旅行すれば、あっという間に思い知りますよ(笑)
最低限その程度の認識は持った上での平和でなければ、ちょっとしたきっかけで崩れてしまいます。

「じゃあ、あなたは隣人同士が武器を向け合った状態で、いつ緊張が爆発するとも知れない中での平穏が、真の平和だとでも思うのですか?」

と、こういう事を言われてしまいそうですが、私はその問いには『その通りだ』とお答えします。
人間には、良い所もありますが、悪い所もたくさんあります。あわよくば他人の富を奪い取りたい、そういう衝動に駆られてしまう時もある。そういう心の弱さを抱えていない人間など存在しない。普段は高潔で素晴らしい人格の人間が、ある日突然魔が差してしまう事は、普通にあり得る話です。
汚いものを直視した先にしか、平和は無いと思います。
そして、そういう心の弱さを抑止するためには、やはり性善説に基づく不戦条約などだけでは力が不足していて、『誘惑に負けて手を出せば、火傷してしまう!』という環境を作っておく事が大切です。泥棒したらボコボコにされる程度の抑止力は絶対必要。
「やめてよー」と言うだけでは、いじめは無くなってくれませんよw
『敵国が攻めてきたら、その国を殲滅出来る程の軍事力』は、必要ないとは思いますけどね(笑)

「信じる」という事は、思考停止と同じことです。
私は全てを疑って生きます。父も、母も、兄弟も、友人も、恋人も、全てを疑います。そして社会を疑って、世界を疑います。疑うという事は、知ろうとすることです。そして、その強さと弱さを知り、弱さが導くリスクを見極め、その上で受け容れられるだけの強さを自分が持てばいいだけです。受け容れられないリスクは避ければよろしい。

が、国のリスクを認識したところで、一人で抵抗できるはずもないので、そこは自分の所属する国にはしっかりして欲しいと思うわけです。
『国に寄りかかって生きているというリスクを、私達は常に抱えている』
これだけは忘れないようにしておかないと、ですね。日本という国に生きるデメリットも受容した上で、自分の生き方を決める必要があります。そして、日本という国に所属していることで甘受している、莫大なメリットのことも忘れないようにしなければならないと思います。

とりあえず、「信じることが大切なんだ!」とか、その程度の妄言で無防備宣言するのはやめて下さいと、それだけは言っておきます。
最近の日本は勢い余ってそこまでやってしまいそうで、見ててハラハラする(笑)


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